◆水戸日帰り研修会
令和4年3月6日(日)に水戸日帰り研修会を実施しました。
当日は水戸駅に13時集合。水戸常陽銀行の常陽史料館貨幣ギャラリーにて「お金と銀行の歴史」について学びました。皇朝銭から渡来銭、大判や小判、江戸時代の銀貨、明治時代以降の金・銀・銅貨、紙幣から現行通貨、記念貨まで貨幣の歴史の全てがわかる展示となっています。
特に水戸藩で発行された「藩札」「寛永通宝」「虎銭」「大黒銭」など、水戸に因んだ展示が充実していました。全般的な解説を、当協会会員で茨城貨幣研究会の加藤辰雄氏からしていただき、水戸藩と寛永通宝の繋がりがよく理解できました。
さらに、銀行の歴史から、銀行の主な仕事、常陽銀行から発行された記念品のマッチ箱や時計、カレンダーなど、今では入手困難のレトロなグッズの展示も興味をひきました。
館内で記念撮影をした後は、加藤氏の案内で、水戸市内を見学。弘道館~水戸城大手門~水戸彰考館跡~水戸城址二の丸の展示室などを巡り、水戸藩の歴史の奥深さ肌で感じ取ることができました。コロナ禍で開催のため、参加者は7名でしたが、楽しく実施することができました。(令和4年3月7日)
甲州金のふるさとを訪ねて
令和2年12月6日(日)に山梨日帰り研修旅行を実施しました。コロナの影響で参加者は6名。目的地は山梨県下部(しもべ)温泉の甲斐黄金村湯之奥金山博物館と甲府にある山梨中銀金融資料館です。
◆甲斐黄金村湯之奥金山博物館
湯之奥金山博物館は戦国最強の武将と言われた武田氏を支えた甲斐金山のうち、中山・内山・茅小屋の3つの鉱山に関する資料が展示されています。(左下の写真は外観)
館内は映像シアターや鉱山のジオラマ、各種甲州金、鉱山で使用した道具類などが展示されており、展示室入口には露一両金が単品で展示されています。貨幣は古甲州金や新甲州金などが充実しており、鉱山の原石や石製の大きな鉱山臼(原石をすりつぶすため)などが目を引きます。
右下の写真は砂金採り体験室です。採取した砂金は持ち帰ることができます。当日は親子連れが挑戦していました。お土産コーナーも甲州金のレプリカなど充実しています。
入場料:大人500円、中学生400円、小学生300円
砂金採り体験を行う場合は大人1100円、中学生900円、小学生700円
所在地:山梨県南巨摩郡身延町上之平1787 電話:0556-36-0015
休館日:水曜日(祝祭日の場合翌日)、年末年始
交通アクセス:甲府駅から身延線で下部温泉駅下車 徒歩3分
◆山梨中銀金融資料館
当資料館は山梨中央銀行創立50周年事業の一環として平成4年7月に開設されました。銀行の歩みを中心とする歴史的文献と古代から今日までの貨幣の展示をしています。
展示されている貨幣は当協会の会員であった山梨の大収集家宮井幾三氏のコレクションをベースに、その後資料館が購入した甲州金などが展示されています。
展示室左側には山梨中央銀行の前身である第十国立銀行に関する資料や国立銀行札が展示されています。貨幣は何といっても甲州金が充実しており、馬が描かれた金貨駒一両金は珍品です(写真左下)。また、宮井氏の愛蔵品であった古和同開珎銀銭も展示されています。各種の解説パネルは誰でもわかるようにわかりやすく簡潔にまとめられているのが印象的でした。
右側の展示室では期間限定の企画展として、世界の記念貨幣、オリンピック貨幣が展示されていました(写真中央)。これは諏訪コインクラブの会長で、当協会会員でもある海沼貞夫氏の所蔵品です。
館長を始めスタッフの皆さんと展示を鑑賞しながら交流を行い、楽しい時間を過ごすことができました。
スタッフの皆様ありがとうございました。(令和2年12月6日)
入場料:無料
所在地:甲府市中央二丁目11-12 電話:055-223-3090
開館日:日~木曜日(祝日、年末年始は休館)
交通アクセス:甲府駅南口から徒歩14分
◆龕附(がんつき)天正金鉱を訪ねて
所在地:伊豆市土肥2851
龕附天正金鉱は西伊豆の土肥にあります。龕附天正金鉱は50年前、日本大学の調査隊が発見したもので、全長約60m、当時の採掘跡が残されています。
伊豆半島では天正年間から金の採掘が盛んとなりました。龕附天正金鉱は天正5年(1577)頃から北条氏により採掘が始まったそうです。 入口は写真左のようになっており、人がひとり通れるくらいの広さで、内部は人がすれ違えるくらいの幅があります。当時は金槌と石ノミによる手掘りで、照明は松明を用いました。 採掘にあたっては、照明用の松明から出る煙、酸欠、作業騒音などの問題があり、煙については入口の方を高くすること(サカサ階段)で煙を逃がし、途中に竪穴を設けることで空気を循環させ、ノミを打つ音の騒音対策については壁を削って凹凸を設け吸音による音響調整を行うなど、さまざまな対策をとっていて、それらを間近で見ることができます。
龕附の名前の由来は最深部のアーチ状に穴たれた部分に山の神の象徴が彫られているからで(写真中央)、龕のある坑道は珍しいそうです。写真右が案内人の方です。坑道の案内や金の製錬方法、江戸時代の小判の価値などを説明してくれました。
徳川家康の時代になると再び採掘が始まり、伊豆半島各地で採掘された金が土肥の港から駿府や江戸に積み出され、後藤の出張所があったことから土肥には後藤という地名も残っているそうです。また、坑道の近くには精錬所跡があります。昭和40年代前半の発掘で見つかったもので(過去に起きた津波で埋もれていた)、2つの窯跡があります。このあたりは昔から釜屋敷と呼ばれていたとのことです。
すぐ近くにある土肥金山(坑内を再現、砂金採り体験、ギネス認定の巨大金塊、飲食・お土産店などがある)と比べるとかなり地味ですが、当時の採掘を観察することができる貴重な旧跡と言えます。
(令和元年8月20日)
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