活 動

秩父日帰り研修会を実施しました

 令和5年10月29日(月)に埼玉県秩父にある和銅遺跡、和銅神社を訪問しました。

 今から1300年前、西暦708年(慶雲五年)に、武蔵国秩父郡から和銅(自然銅)鉱脈が発見され、都に献上されました。これを喜んだ元明天皇が年号を「和銅」と改め、恩赦や困窮者の救済、官位の昇進などを行い、そのうえ武蔵国の税が免除されたと「続日本紀」に書かれています。

 ここで産出した銅で「和同開珎」が鋳造されたという記録が残っていませんが、日本史上の大きな出来事でした。

 当日は、西武池袋駅から飯能を経由して西武秩父駅で下車。秩父鉄道の御花畑駅まで歩いて、秩父鉄道に乗車し、和銅黒谷駅で下車しました。ここから徒歩10分で和銅聖神社(写真)に到着。聖神社の創建は和銅元年2月13日で、採掘された和銅石13個(神社に現存するのは大小2個)と元明天皇下賜の銅製の百足雌雄一対が御神宝として納められ、今に伝えられています。銭運の御利益があるということで、和同開珎の形をしたたくさんの絵馬がかけられていました(写真)が、願はお金に関することが書かれていて、一番多かったのは「宝くじに当たりますように」でした。

 ここから急坂を上り、約10分で和銅の産地に到着。露天掘りの跡を見ることができます。(写真)すぐ近くに巨大な和同開珎を模した記念碑が建っていました(写真)。産地の上部にあがる階段は、土砂崩れがあり、残念ながら通行止めとなっていました。

 その後、和銅黒谷駅に戻り、長瀞駅へと移動して昼食をとり、長瀞ライン下りに乗船。暖かな日差しのもとで秋の一日を楽しみました。

日帰り研修会を実施しました

 令和5年6月5日(月)に日本橋にある日本銀行本館を見学しました。参加者は14名。

 日銀本館の設計者は東京駅赤レンガ駅舎の設計でも知られている辰野金吾氏。ベルギーの国立銀行などを参考に1896年(明治29年)に竣工しました。

 特徴としては、➀石造りによる古典主義建築 ➁中央銀行としての地下金庫の設置 ③エレベータやシャッターなどの設置 で、これらの新しい建築手法や技術が取り入れられました。

 グループの見学時間は1時間ほど。最初は日銀職員の方のレクチャーでDVDを見ながら、日本銀行の歴史について説明を受けました。その後本館内部を見学。古典主義建築の美しさを誇る一本石の柱が回廊につらなる中庭は実に見事です。

 また、「鉄道現金輸送車」の模型やその写真も初めて存在を知り、実際に使われていた期間中(2004年3月末まで)はヴェールに包まれ、秘中の秘とされていたため、珍しい展示で印象に残りました。

 客溜りの空間は自然光を取り入れ、ギリシャ古典主義式の装飾を施されていて、天井から外光が降り注ぎ視覚的にも映えています。

 地下金庫は金庫扉、レンガの壁面、アスファルトの床の回廊など創建当時の姿が残る貴重な空間でした。

かなりの場所で撮影がOKであり、撮影に夢中になりました。あっと言う間の1時間でしたが、有意義な時間となりました。

 インターネットで日本銀行の見学のページから予約ができますので、皆さんも機会があればぜひ訪れてみてください。

東京国際コインコンヴェンション(TICC)でセミナーを開催しました

 令和5年4月28日(金)にTICC会場で、当協会主催のセミナーを開催しました。

 テーマは「慶長金の流れ」で講師は当協会の小川隆司会長です(写真は下段)。慶長古金銀は会長が日ごろから研究・収集され得意とする分野です。

 前段では慶長小判・分金に関する文献目録について解説(下段図表参照)。1600年代に書かれた『慶長聞見集』や『石川正西聞見集』などに比べて、慶長金が造られてから150年以上経過して1800年代に書かれた『金銀図録』や『参加図彙』は内容が伝聞の伝聞で、その記述に関しては信ぴょう性が低いので注意が必要との指摘をされました。後段では慶長小判の分類について解説を行い、初期、前期、中期、後期に造られた小判・分金の製作年代や刻印の違いについて説明しました。併せて、年代や刻印の異なる多くの慶長小判を展示されました。

 セミナー後半では、高崎会員(写真下段二番目))にバトンタッチし、「文政以降の小判の楽しみ方」というテーマで講演を行いました。小判の「鏨目(たがねめ)」と「刻印地肌」の2点に着目。文政以降の小判には「鏨目」と「刻印地肌」に違いが見られ、そこには規則性があるとの解説を行い、従来の「座人印」分類などとは異なる別の観点からの分類による楽しみ方を提唱されました。

日帰り研修会(造幣局さいたま支局)を実施しました(2022.10.9)

  10月4日(火)に造幣局さいたま支局の博物館と工場を見学しました。コロナ禍の中、11名の参加があり、13時にさいたま新都心駅に集合、徒歩12分の所にある造幣局に向かいました。

 造幣局は明治四年に近代国家として貨幣制度の確立を図るため、明治新政府によって大阪に創設されました。現在、大阪に本局、さいたま市と広島市に支局があります。

 展示室入口にある体験コーナーでは貨幣袋や千両箱を実際に持ちあげて重さを体験したり、貨幣の健康診断機で貨幣の状態を調べることが出来ました。

 博物館には大判や丁銀などの古金銀、明治以降の日本の貨幣のほか、記念貨幣や勲章、オリンピック入賞メダルなど貴重な品が数多く展示されています。中でも状態のよい元禄大判金(写真)や試作の旧2円半金貨、シカゴ万博出品用に2枚ずつ作られた明治25年銘の金・銀・銅貨などが目を引きました。

 続いて工場見学です。プルーフ貨の製造→貨幣セットの製造→通常貨の製造→勲章の製造をガラス越しに順番に見学しました。残念ながら工場内は撮影禁止なので、映像はありません。

 最後にショップで各自「貨幣セット」や「造幣煎餅」などを購入しました。今回の研修会を通じて日本における貨幣の製造過程や意義について学ぶことができ、とても有意義な研修会となりました。


東京国際コイン・コンヴェンション(TICC)でセミナーを開催しました

  4月29日(金)から5月1日(日)にかけて、第33回東京国際コイン・コンヴェンションが開催され、29日には当協会主催のセミナーも実施しました。

 日 時:令和4年4月29日(金)16時~17時30分

 場 所:東京日本橋ロイヤルパークホテル 3階

 講 師:齋藤 昭維氏(当協会会員)

 テーマ:安南銭の収集の楽しみ方 

     ~『安南美號大銭』の収集を通じて学んだベトナムの歴史と社会について~

 ※当日は30名の参加があり、大盛況でした。

 

◆水戸日帰り研修会を3月6日(日)に実施しました 

 江戸時代初期から幕末まで鋳造され続けた「寛永通宝」。今回の研修先である水戸市の常陽史料館貨幣ギャラリーでは、水戸で鋳造された寛永通宝などを始め、各種の貨幣が展示されています。

 当日は、茨城貨幣研究会会員・日本貨幣協会参事の加藤辰雄氏に解説していただき、水戸藩で全国に通用する貨幣を鋳造していた歴史を学びました。

 詳細は「貨幣の故郷を訪ねて」を選択してください。 

 

◆令和2年新年会を開催しました

 

 2020年1月12日(日)に花園神社社務所2階会議室で令和2年新年会を開催しました。

大場会長の挨拶に始まり、乾杯、皆勤賞(8名)の表彰、懇親会、ボイスオークションなどを行い、最後は小川副会長の三本締めで盛況のうちにお開きとなりました。

 

 

◆みちのく合同古銭大会秋田大会参加報告

 

 2019年10月5日から6日にかけて第33回みちのく合同古銭大会秋田大会が秋晴れの中、サンルーラル大潟で開催されました。全国から55名の収集家が参加しました。

 当協会の役員は、大場会長、小川副会長、赤坂理事、吉田理事、渡辺理事、目黒監査役の6名が参加しました。

 秋田貨幣研究会の大嶋さんの総合司会で大会が始まりました。梶浦会長、大場日本貨幣協会会長の挨拶及び各地区研究会の会長とメンバーが紹介されました。

 その後、盆回し、記念写真撮影、懇親会、太鼓演奏、ボイスオークションなどで皆様方と楽しい時間を共有することができました。

 来年は南部古泉研究会(佐藤会長)のもとに第34回みちのく合同古銭大会が開催される予定です。

 心身共に元気で再開できることを誓い、盛況のうちに閉会となりました。

 秋田貨幣研究会の皆様、ありがとうございました。

 

◆諏訪コインクラブを訪問しました

 

2019年3月23日(日)に赤坂、吉田、木下の3名で長野県の諏訪コインクラブを訪問しました。諏訪コインクラブは1973年(昭和48年)に創立された歴史ある古銭研究会で、通常の活動の他に、小学校でのコイン学習会や放課後子ども教室でのコイン教室開催など社会貢献活動に積極的に取り組まれ、その活動が評価されて、文部大臣表彰を受けています。

昨年は創立45周年を迎え、今までの活動記録をまとめた記念誌も発行しています。

 この日はちょうど毎月第四土曜日の例会日で、会場は部屋から諏訪湖が一望できる諏訪ハイツでした。例会では、先日新聞でも取り上げられた寛永通寳松本銭の発掘について海沼貞夫会長が新聞記事、関連資料、十数点の現品などを持参して説明された後、意見交換を行い大いに盛り上がりました。

 例会終了後は、すぐ横を天竜川が流れている海沼会長のお宅を訪問し、TICCセミナーの打ち合わせを行い、当日展示するオリンピックやスポーツ関連のコインをお預かりしました。例年ですとこの時期はまだ雪が少し残っているそうですが、今年は雪がまったくありませんでした。近隣の山々にはまだ雪が残り、早春の信濃路を日帰りで帰るのはもったいないと感じた1日でした。